たまたま誘われた「て」の講座
”まあまあ”が口癖のヨガの先生から「触れる手」という講座に誘われて参加しました。
参加した理由は、特にない。
「て」というものに敏感に反応したというか。
講座の内容は、触れる(ような)手で痛みのあるところに手を置くと痛みが和らいだりする。
その「て」を伝授してもらうというもの。
それだけの講座??って思う人いるかも?いや、いるな。
あとで(オステオパシーを習ってみて)わかったのですが、それが”まあまあ”難しいのです。
その講座がきっかけでオステオパシー施術(整体)を勉強することになりました。
「て」への拘り
幼いころから父親に似た私の「て」は、子どもなのに皺が多くて血管が浮き出ていてごつごつしていました。
男の子と踊るフォークダンス、「なんだ、お前、おばあちゃん(おじいちゃん?)の手だ!」と言われ、子ども心に傷ついたものです。(´;ω;`)
でも私にとって父の「て」は、見た目は悪いけど、いつも温かく、優しく、安心感のある「て」。
父はその「て」で膝の痛がる母の膝をよくマッサージしていました。
結婚式の前日、私の部屋に父が来て「がんばれな」と言って私の頭の上に優しく「て」をのせました。
もうこの「て」とお別れなんだなぁとしみじみしたものです。
父の「て」の温かくて柔らかい感触は、今でも覚えています。
嘘みたいなホントの「て」
どんな整体も「て」を使います。
最初にオステオパシー施術(整体)を受けたとき、正直何をされているのかわかりませんでした。
それは、皮膚の表面に触れるか触れないかの優しいタッチで触っていきます。
マッサージのように筋肉を揉んだりはしません。
「て」で内臓や血管、神経を触る??
当時、先生のいうことは、全く理解できませんでした。
でも本当にそんなことができるなら、凄いことだと思い、やってみたいと思いました。
昔から身体がそんなに丈夫な方ではなく、胃腸が弱く、外食が苦手です。
若いころからたくさんの整体師さんと出会ってきました。
筋肉や、筋膜、骨を調整するという整体師さんには、会いましたが、
内臓を触って調整するというのは、初めて聞きました。
胃腸が弱く、外食や旅行も楽しめない私にとって薬以外で内臓が元気になるのは、画期的なことです。
人に、というより、自分のために、学ぼうと思ったのです。
内臓の位置は、(血管、神経も同じですが)人それぞれ違います。
解剖図通りの位置とは、限りません。
「て」で正確な位置を確認し、皮膚や筋肉を通り抜けて内臓に触れるのです。
実際に触れているわけではないのですが、触れているような感覚があるということです。
私もうそ~!と思っていたので信じてもらおうとは思いませんが、
内臓の感触は確かに感じとれます。
共に学んだ仲間同士でやると触られる方も触られた感覚を感じとれます。
肝臓フェチの友人がいて肝臓を触られるのも触るのも好きだそうです。
ちなみに私は、脳が好き…。
練習会では「肝臓触らせて!」とか、「私は脳がいい!」とか、
「肝臓気持ちいい」とか、会話が飛び交い、声だけ聞いていたらかなりヤバい集団です。
モノに触るとき、私たちは、常に意識して触ります。
例えば、ペットボトルの水。
ペットボトルの上から中にある水の感覚を感じます。
そうやってその「て」を得るのです。
未だに日々鍛錬ですが…。
コンプレックスだった「て」は自慢の「て」に
見た目の悪い「て」も胃腸の弱い丈夫じゃない身体も今の私には、必要なことだったのですね。
オステオパシーを学んでから、胃腸も良くなり、最近は外食も旅行も楽しんでいます。
冷え性で常に冷たかった「て」は、常にあたたかくなりました。
見た目は悪いままですが、いつも温かく、優しく、安心感のある大好きな父の「て」を引き継いだのですから
コンプレックスだった「て」は自慢の「て」に。
自分のために学んだ施術ですが、少し欲が出まして。
この「て」で「半径5mの世界」の人を幸せにしたいのです。
「君の膵臓を食べたい」(著者住野よる)という映画化された有名な小説がありますが、私の場合、「君の膵臓を触りたい」かな?(笑)